「シンポジウム震災とICT」-基調講演
(東北大学 今村教授)

「東日本大震災による地震・津波被害の状況」
東北大学大学院工学研究教授 今村文彦先生

本日の講演では、今回の地震、津波、その被害状況を見て頂き、皆さんが復興計画を立てている中で、どのような視点が大切なのか、東北大学としてどのように取り組んでいくか紹介させていただきます。

はじめに、東北の地の過去の地震・津波の状況を見て頂き、それによって今回の地震・津波の規模がいかに大きかったのかを実感して欲しいと思います。また、様々な被害状況をスライドで見て頂きます。

東北の地では太平洋沖合にプレートがあり、年間数センチメートルですが動き、それが数十年間で相当な歪みがたまり、それで地震が起きるということです。 通常であれば宮城県沖地震はマグニチュード7または8クラスであるが、今回はマグニチュード9という今までの歴史にない規模であった。地震が起きる構造は、過去においても、現在、将来においても変わりません。
と、いうことは、いつか地震・津波が再来することになります。これは、東北のみならず今懸念している西日本でも同様、残念ながら日本全国で自然災害、地震、津波、火山、豪雨があることを改めて認識 する必要があります。

このスライドは、歴史的に東北地方においてどういう地震・津波を記録したか主なものを示したものです。1611年から、どこで地震がどのような規模で、また津波がどのように伝搬したのかが克明に記録されています。

一つだけ歴史的に飛び抜けている869年のものがあります。当事仙台・多賀城で今回のように津波の浸水域が数キロに渡り、その全域が非常に大きな被害を受けたという記録があります。現在、我々は、江戸期以降のデータに基づき地震・津波の評価を実施しており、残念ながら869年のデータは入っていませんでした。これが今回の大きな教訓となりました。

こちらは、1933年3月3日に三陸で起きた地震・津波の被害と対策です。当事3千名が犠牲となったことを受け、「津波災害予防に関する注意書」という今回の復興計画のようなものがまとめられました。
この注意書には既に高地移転の話、防潮林・防浪堤(防潮堤)など地域を守るハード的なもの、また避難、警報システムのようなソフト的なもの等、いわゆる総合防災対策が既にうたわれていました。先日も中央防災会議で今回の震災を受けた最終報告をまとめました。内容は、改めてハード・ソフト・まちづくりという総合防災をきちんとやる必要があるというのが大きな柱です。

太平洋プレートが日本列島に沈み込んでいる場所が日本海溝、過去においてもここで地震・津波が繰り返されています。特に昭和の地震・津波はこのプレートよりも少し沖側の正断層で起きたもので、他とはタイプが違うアウトリーチと呼ばれるものです。それによって海底変化が起こり津波が伝搬 します。
津波の速度は水深に関係し、深いところでは時速700キロ以上で伝播します。沿岸部ではシンプルな波形ですが、地形の影響を受けて振動しまたは湾奥で集中し、大きな津波の波高を記録しました。昭和の津波においても25メートルを上回り、3千名もの犠牲が出ています。(※スライドにはアニメーション効果あり。)

その三陸の地で特に被害が大きかったのは、三陸沿岸の田老町です。当事500戸、900名以上の住民がいましたが、このように津波により跡形も無くなっている状況です。明治、昭和と2度の大災害を受けて壊滅した田老町であるので、村の予算に匹敵するお金を費やし、コンクリートで防浪堤(防潮堤)を築くこととなりました。その後、戦後の高度発展する中で東側と南側に土地を拡大したため、防浪堤(防潮堤)を拡大、建設しました。そうしたことで、当事のハードの考え方が継承出来ない状況が生まれました。なぜかと言うと、当事はL字型で建設し、大きな津波がきても右側と左側にぶつかった瞬間分けられるため、津波の力をそのまま受けずにかわすような構造でしたが、その後、防潮堤を追加したことでL字型からX型に変りました。X型になると、今度は逆に津波のエネルギーを全て手前の2つの防潮堤で受けてしまうことになったため、残念ながら、今回2つの防潮堤が破壊され、結果、背後地で大きな被害を受けることとなりました。このようなハード的な対応も我々は歴史に学ばなければいけないと思います。

過去400年間、この三陸沿岸と言われる所でどれだけ地震・津波が起きたかを示したのがこのスライドです。先ほど述べたように、1600年以降はかなり詳細にデータがあるのでそれ以降の状況ですが、太平洋沖いわゆる日本海溝でこのように沢山の地震・津波が起きており、場所によって発生の頻度が異なります。
例えば、 図中の緑で明示したところは過去400年間で5回、そうすると80年程度の周期でマグニチュード8程度になることが推定されます。一方隣ですが、昭和8年(1933年)と慶長16年(1611年)のものでは位置がずれており、発生間隔は300年から400年と言われている。僅かに隣ですが、地震・津波の規模がこれだけ違うことになります。
今回の震災の前に、我々が注目していた宮城県沖(下の赤い枠)は、400年間で11回を数え、周期としては40年弱の繰り返しで起きた地震だったと言うことになります。間隔が短いために、幸い過去においてはマグニチュード7.5前後の規模に止まっていた訳ですが、今回は全く規模が違いました。場合によっては青い領域が連動して一緒に起きる場合があります。僅か2回ですが、100年おきに起きていたように見えます。

このような評価を基に、日本では文科省、地震調査委員会が日本各地の長期評価ということで、30年以内にどれだけの発生確率で地震または津波が起きるであろうかという評価をしています。
特に宮城県沖地震は、30年以内にマグニチュード7.5で99%の発生確率と評価され、これは日本だけでなく世界で一番高い数値になっていました。今回は残念ながら宮城県沖が震源で、場所的、発生タイミング的には合っていました。
しかしながら、従来考えていたマグニチュード7.5ではなく、距離にして500キロ、マグニチュードにして9.1という数十倍のエネルギーがここで放出されました。

このことを受け、改めて我々は歴史資料を見直す必要があると思います。

過去400年間で評価したのがこのスライドですが、我々はもっと古い時代からもっと長い評価をやらなければならないという課題に現在取り組んでいます。
その代表が869年(貞観11年)のもので、「三代実録」という歴史書の中にこれだけの記述が残っています
。陸奥国で地震があり多くの被害があった事、また津波が来襲した等々の記載がありますが、残念ながら地震の規模が分かりません。特に、三陸の北側のどこまで影響があったのか、また今回原子力発電所の事故が起きた福島、茨城側でどこまで影響があったのか、この記述だけでは残念ながら不明でした。

10年くらい前ですが、歴史的な文献に加え、津波現場の堆積物、また地震による液状化の跡の痕跡を調べ始めました。
このスライドが仙台平野で見られた堆積物の例で、わずか1メートルくらいの深さですが、火山灰と、この上下とは全く異質の地層が、発見されました。
火山灰は915年の十和田での噴火によるものであることが分かり(上下とは全く異質の地層は、)869年(貞観11年)の地震津波によって運ばれた堆積物であることが少しずつ分かってきました。
このような堆積物が石巻、仙台また相馬等々では確認されていますが、昨年の段階では三陸側、福島、茨城側では見つかっていない中、今回の震災が起きてしまいました。

地震というのは沢山のひずみエネルギーが一気に解放される訳ですが、実はそのひずみエネルギー全てが一度の地震で解放される訳ではなく、残念ながら一部残る ことになります。その残った状況で今現在余震が続いています。

昨日(9月29日)も福島で震度5強の緊急地震速報が出たように、黒い点が示すとおり、かなり南側、また三陸の一部、宮城県側も含めて活動が継続しています。マグニチュード9のような地震が起きると、少なくとも1年はこのような状況が続くと言われており、場合によっては津波注意報、警報が出るような規模にもなる可能性があります。今現在防潮堤が破壊され地盤も低下していますので、非常に高いリスクを抱えている状況にあります。過去の対策に加えて、今現在の必要となっています。

こちらは地震または津波の規模と、観測データにより推測されている断層のすべり量を示しています。ひずみエネルギーが解放され、断層がすべることで地震の運動が起こる訳ですが、赤い領域では1回の地震で30メートル以上滑ったということを示しています。黄色い領域でも10メートル近く滑ったことを示しています。1回の地震でこれだけのすべり量が観測されたのは、1960年のチリ、1964年のアラスカと今回の超巨大地震のみです。場所によっては70メートルのすべり量も出ています。実は、南側と北側は、あまりすべり量が多くないので、残念ながらまだまだひずみが残っており、そのために余震が現在も続いている状況です。

これまでの解析に加えて沿岸部での実際の津波の浸水エリアとか、遡上の高さを加えて解析し直したものがこちらのスライド(掲載なし)です。ここのエリアだけでなく、もう少し北側でも津波を伴ったような変化があることが示されています。ただし、地震動ではここが示されていないので、非常に穏やかな揺れなのか、または海底の地滑りなのか、かなり特別な原因で津波が起きたのではないかと推定しています。

もう1枚見てもらいたいのがこちらのスライドです。
基本的には逆断層地震ですので、貯まった歪エネルギーは、我々が住んでいる陸側のプレートが上がる・盛り上がることでエネルギーを解放する訳ですが、この盛り上がりに伴い、少し陸側で引っ張られて沈下します。その沈下の状況は東日本全体で見られ、下北半島から関東にまで至っています。
特に一番大きかったのは石巻と女川であり、1メートルを超える沈下がありました。スライドは陸前高田の例であるが、地震直後から地盤が沈下し、その後に津波が来襲したためご覧のとおり海岸線自体が変わっています。
通常このような変化というのは、半年とか数ヶ月経つとある程度戻ると言われていますが、現時点でその沈下した領域は戻っている状況が見られず、非常に長期に渡るのではないかと推測しています。

以上のようなデータを基に、我々は津波の発生メカニズムを検討させていただいており、シミュレーションで見て頂きます。( 投影資料はアニメーション効果あり。)

盛り上がった部分が押し波で引っ張られた部分が引き波、今地震発生後20分であるが既に三陸の中部、また福島、茨城の沿岸部に迫っています。前に述べたように時速700キロ以上の猛スピードです。津波は海岸線に到達した途端に集中化し巨大化していき、今回も津波の高さが39メートルを超えた地点がありました。仙台湾というのは、水深が100メートル以下の浅い領域であり、そうすると津波の伝搬は急に低下し、津波の到達がかなり遅れ、1時間後となりました。

他の地域と比べて遅い津波の来襲ですが、避難するには十分な時間が無かったと思います。

今、2時間あまりの状況を見て頂いたが、その津波が反射しまた入射し、津波全体が軽減している様子は見られません。気象庁の観測によると、最終的にこの津波は、2日間続いたと言われており、北は青森から南は千葉の館山まで津波の震動の記録が続いていました。

一番被害が大きかった三陸の中心部では、残念ながら引き波が起こり、次の押し波(第一波)の途中で振り切れています。これは験潮所も含めて津波の来襲で全てを破壊されてしまったことを示しています。このような状況は初めての経験です。但し引き波または押し波の到達の状況が分かるので、こういう情報を使いながら津波の発生メカニズムを解明する重要な情報として、現在使わせていただいています。

地震当事、気象庁から警報システムが出ました。今現在もそうですが、地震発生後、大体3分を目安に津波が有るのか無いのか、また、有る場合は数値として何メートルの津波で何分後に来るのかという情報を出しています。世界的に見ても非常に画期的な、しかも量的・具体的な情報ですので、それに対応して住民の方々は避難していただけるものと期待していました。
しかし、このような津波情報も場合によってはきちんと伝達できない状況があるということが沖縄での事例で見られています。

気象庁は、沖縄県の宮古島、八重山地方に高さ2メートルとの津波警報を出しました。当然、町ではパトカーが住民に避難を呼びかけるなど、緊迫した雰囲気になりましたが、一部では警報が出された後も避難せず、逆に海を見に来る親子連れなどの姿も見られたとのことです。三陸においては、昨年チリ地震による大津波警報が出ましたが、実際に避難していたのは対象領域の1割に止まりました。
残念ながら数値として出た2メートルというのが、十分な津波避難また行動には結びつかなかったと言うことになります。このことでは「2」という数字がポイントです。このくらいの波であれば全然逃げる必要はない、助かるんじゃないかという勝手な判断な訳です。
しかし津波というのは通常の波とは全く異なります。通常の波は時に波頭が10メートルを超える時もありますが、波の周期が非常に短く、高さのわりに背後地は浸水しないのが高波とか高潮です。津波は、先ほどデータを見ていただいたように水面が高くなる状況が10分、または20分も継続します。チリ津波の場合は1時間近くも継続しています。このように津波はずーっと水面が高い状況が続くので、ダムから逆放流したような形でどんどん低い陸地に入っていきます。数字の情報は非常に大切ですが、それによって沿岸部がどのような影響を受けるのか、またどんな被害が起こるのか、そういうものを付加的に示さないと、一般の方には中々怖さを理解してもらえず、避難に結びつかない状況があったと思います。

もう一つの課題は(情報の)伝達です。むつからいわきまで実際の津波の記録が黒い線です。黒い点線はデータが欠測したものです。
地震発生後、2分から3分で津波の第一報が気象庁から出ましたが、青線が予報値でその数字が3メートルであったり、宮城県では6メートルであったりしました。
津波が来る前にこの予報値が出され、実際に押し波が来る前に、この予報値は釜石のGPS波浪計のようなリアルタイムの情報を得て改正され、大きな数字として出ているのがわかります。数値の予測精度としては、十分悪くない予報値ですが、この情報が一般の方に伝わるには時間がかかり、修正した情報が場合によって住民の方に伝わらないということがありました。

第一報が3メートルの三陸では、防潮堤が5メートル、場所によっては防潮堤が10メートルあり、第一報の3メートルという数字が残念ながら避難しなくても良いという解釈につながったと言われています。
このようにアップグレードする情報ですが、第一報が非常に重要です。情報がその後にアップグレードされ、防災無線などの色々な形で伝えた訳ですが、避難途中であるとか停電でテレビが使えない等で 修正された情報が得られなかったということです。我々は、津波情報のコンテンツ、内容も大切ですが、一人一人に確実に伝わる手段を用意する必要があります。
勿論情報のアップデートも重要ですが、これが相まって初めて避難の意識に繋がると思います。

(スライドなし)このような津波の状況ですが、今回の津波の特徴を示す記録を見ていただきます。先ほどの検潮記録等、気象庁で得たものには表れていない津波の姿です。
これは釜石沖、千メートル、千五百メートルの非常に深い場所に海底地震津波計が設置されており、ここで取られた津波の実態です。
この津波計が地震によって少し海底で揺れ、これだけの変化があります。その後の津波の第一波が記録されることになります。こちらでおおよそ14時50分にかけて2メートル位の水位まで上がっています。水深千メートルで2メートルであるので、かなり大きな津波になります。その後約30分水位が上がって、30分水位が下がるはずであるので、約1時間の津波の周期ということになります。
マグニチュード9のような巨大地震による津波というのは周期も大きく、従来から我々が推定している津波の姿であったと思います。

しかしながら、今回の地震ではこれに加えて15時あたりからいきなり3メートル水位が上がり、それがすぐに下がった。つまり短周期の非常に破壊力の大きい津波が加わったことになります。これが最初の第一波であるとすれば、これが第二波の成分になります。

第一波は巨大な水塊を変化させ押し波として来襲し、それによって浸水域を生じさせた訳ですが、それに第二波成分が加わったことで、深いところで3メートルですから浅いところ、沿岸部に行くとそれが3~4倍になり、単純に10メートルを超えるものがここで生まれたことになります。このような状況の記録は我々には無く、初めてとらえられたものです。
 

皆さんご存じと思いますが、検潮記録に加えて「海上保安庁の巡視船まつしま」での記録を見ることができます。地震当時ちょうど福島原発沖を巡視していた時の映像・記録がYou Tubeなどで放映され、多くの皆様が見たと思いますが、その時の津波の様子を見ていただきます。(映像を投影。)
本来、津波というのはゆっくりと上がり、10分、20分、今回は30分かけて来るものであるが、「まつしま」がとらえた第2波と思われる津波は、沖合5キロの離れた場所であっても非常に大きな山として津波が来ていることが分かります。推定12メートルから13メートルあったのではと言われています。この津波は第二波成分だと思われるが、今「まつしま」がそれを乗り越えますが、海岸に来るということになります。(映像終了。)
 

今見ていただいたのは福島の相馬ですが、三陸の釜石にも実際にこのような津波が来ていたと思われます。広範囲に渡り巨大津波が発生していたことが分かっていただけると思います。結果、今回は2万名以上の犠牲者や社会的インフラ、また直接被害が非常に多く出ました。浸水域だけでも400平方キロという数字がありますが、最終的には500平方キロを上回ったと言われています。

津波がそのまま来る直接被害に加え、実は間接被害というものがあり、これは車が2万台、船も2万台動きだし、津波とともに漂流物が加わって破壊力を増して、沿岸部を襲ったということになります。

また気仙沼を中心に津波火災が発生しました。津波に伴って火災が発生し、延焼してしまっています。また、海水が浸水し農業被害が続いていますので、被害実態の数字というのは、まだまだ増えて変わっていくと思います。

(スライドなし)このスライドは1時間後に来襲する仙台平野での津波の状況である。第一波で既に遡上を始めている。特に見てもらいたいのは、こちらの海域の状況です。津波というのは、基本的に水面を上げたり下げたりします。つまり位置を変える位置エネルギー、ポテンシャルエネルギーで、その発生なり伝搬がとらえられます。従って海域にある津波は非常に穏やかです。位置だけ、水の量を上げるだけですので、ちょうどダムに貯まっている水と同じです。その後、津波が陸に入ると、この水塊を投げ出し、位置エネルギーから運動エネルギーに変化します。そのためにこれだけの流速が見られました。映像で推定される流速は、1秒あたり6mから10mと推定され、普通の洪水の約5倍から10倍近くになっています。これだけの巨大な運動エネルギーが破壊力となって沿岸部を襲ったことになります。これはサイドから見たものである。直線の沿岸、三陸のように複雑ではありませんが、10メートルを超える津波が一気に来襲しました。基本的に平野ですので、津波の第一波の先端は一緒にくるはずですが、ある程度距離がありますと、このように先端の違いが見られます。こちらは若干地盤が低いところになり、一気に流れ込んでいます。しかし若干地盤が高い、高いと言っても50センチとか1メートル程度ですが、イグネという植生があり昔からの住宅があった若干の地盤の高さの違いによって津波は避けています。
わずかの地盤の違いによって非常に甚大にしかも伝搬が早く来る場合と、それが遅れ、しかもエネルギーとしては弱い領域というのが見て取っていただけると思います。

もう一つ、こちらが貞山堀です。通常津波を防ぐには防潮堤のような高い壁を造りますが、そうすると貞山堀は逆であるので、あまり機能は無いのではないかという評価でしたが、この状況を見ると、地盤が低くなっていることだけでも、ここで乱流というものを起こして若干ではあるが津波のエネルギーを低下させているのではないか、また先端が低いところから上がることによって先端を遅くしているのではないかという評価ができます。

伊達政宗が造った防潮林に加え、この貞山堀のような運河等が多重の防御機能として見ることができますが、今回の巨大な津波では、これだけでは十分守りきれなかった。低減できなかったということになります。これは仙台空港ですがが、承知の通り津波が一気に駆け抜けています。この先端がコンクリートですので、非常に速度が速く秒速5mか6mだったという推定されます。色を見ると、青かったものが黒いものに変わっていくのが分かります。つまり津波は浅いところに来ると泥や砂を巻き上げてこのような状況になります。この巻き上げた泥が貯まったものが津波の堆積物であり、前に貞観の津波で見たような特別な層を残すことになります。

(スライドなし)地震当時、仙台空港に駐車されていた車が全て流されてしまっています。
これに加えて残念ながら火災も起きています。
まだ午後3時とか4時頃であるので住宅では調理はしていなかった時間とは思いますが、火災が起きてしまっています。
まだ火災原因ははっきりしていません。更に、交通機関、鉄道・道路等様々なものが被害にあっています。鉄道だけでなく駅舎や車両まで被害を受けました。

こちらは南三陸町の例です。本来の防潮堤や防波堤が破壊され、土地自体をも浸食し無くしていることが分かります。こちらは気仙沼の例です。このような状況が各地で見られます。

伊達政宗が沿岸のインフラとして整備した写真を見て下さい。幅400メートル (最大)の防潮堤また堤防があり、ここに水田がありました。
当時は重要なインフラである街道はこの奥側であり、浜街道また奥州街道というのは今回震災の影響を受けていない状況です。

残念ながら今回の津波では鉄筋コンクリートの建物を残しほぼ壊滅しているが、例えば人工地盤、堤防とし、東部自動車道があったために手前で津波を止めた状況がありました。手前には瓦礫があるが、背後地には非常に少ない状況です。

 

我々は現在も震災の調査をしていますが、防災機能の評価とか、今回の復興に向けての方向性を議論させていただいています。その中でやはり歴史的な観点、先ほどの貞観とか慶長の時のものの見直しを行っています。

我々の祖先は、海から4キロ内陸に浪分神社を建立しました。この神社は今回の津波でも浸水していません。こういうものをどうしてメモリアルとして残しているのか、様々学ぶべきものがあります。

また現在、復興計画を各地で検討いただいていますが、四つのポイントが重要と思います。
一つは、持続性です。数百年または千年に一度と言われる今回のような震災に耐えうる持続性をいかに維持していくか。また多重性として、防潮堤と様々な機能を組み合わせることが大切です。

また、計画においては、明確性と透明性が大切です。多様性も重要です。本日はこのキーワードだけに止めさせていただき、またいつか皆様と議論ができればと思います。

 

現在、 宮城県等で復興ビジョンということで長期的なグランドデザインを描いていますが、今後、東北大学においても様々な分野で支援させていただきたいと思っています。
まず今回のメカニズムの解明です。この解明が今後、西日本の東海から東南海や南海への評価に繋がると思っています。更に今回の地震・津波に対する様々な知見、また色々なデータの蓄積を行い、これを是非アーカイブとして残したいと考えています。

(スライドなし)本日、追加資料として加えたのがこちらです。我々「みちのく震録伝」ということで、今回の震災の様々な記録を残し、それを伝えたいと思っています。大学が得意とする色々な分野の様々な記録を集めて、それをきちんとした記録としてまとめ、それを伝承し後世に残したいと考えています。
それが今現在の支援にも繋がると思っています。今現在、こちらの分野で我々がアーカイブを立ち上げさせていただきました。
今後様々な分野で、また既にあるアーカイブとの連携等を行い、皆様方に利用していただけるよう検討をさせていただいています。

我々は、現在約3年のスケジュールを考えており、第一歩として先日このアーカイブを立ち上げプレスリリースを通して皆様方に紹介させていただきました。今後は様々なシステムの構築と実際の結果(データ)を見ていただきたく進めています。例えば今回の震災被害の状況を、Googleさんのストリートビューと同じようなものを我々も撮っているので、それを見ていただくとか、また研究者が撮った様々な視点での写真を一同に集めるとか、理系または工学系の専門家だけではなく、様々な人文学や歴史、地理の先生たちがとらえた記録がありますので、そういうものを一同に集め皆様方に見ていただきたいと考えております。

以上、本当に短時間で途中駆け足となり申し訳ありませんでしたが、私から東日本大震災による地震・津波の状況と、東北大学の取り組みの一部を紹介させていただきました。

ご静聴有り難うございました。

 

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