「災害対策用FM局の取組」(山元町・りんごラジオ 代表 高橋 厚様)

「東日本大震災と放送メディア」

山元町・りんごラジオ 代表 高橋 厚様

<講師プロフィール>
1942年(昭和17年)東京生まれ都内の大学を卒業し、1967年(昭和42年)アナウンサーとしてTBC入社。ラジオ、テレビで数多く番組を担当。テレビニュースキャスターとしては、東北新幹線開業や仙台市政令都市、昭和53年の宮城県沖地震など、宮城県の大きな節目の出来事を現場から報道。アナウンス部長、報道局長などを歴任し退職。
2003年(平成15年)里山暮らしに憧れて山元町へ移住。山元町復興代表者会議会長や公民館話し方教室などの他、講演会など多数。

「開局までの経緯」

<3月11日から3月21日午前11時まで>

 山元町は宮城県太平洋岸の最南端に位置し、特産品はリンゴ・いちご・ほっき貝が特産ですが、ほっき貝といちごは津波で壊滅的な被害を受けました。
 この町で災害コミュニティラジオを開局したのですが、当日3月11日14時46分は、私は町の総合計画審議会メンバーで町役場におりました。

 私も在職中には、昭和53年の宮城県沖地震、日本海中部地震等々の大きな災害時は不思議と生放送でマイクの前におり、東日本大震災の地震はそれらを超えるものでした。

 揺れの時間も長く、庁舎の机に下へもぐりました、書庫等が倒れてきました。

 揺れが収まり、役場外へ避難し、その後家に戻った海沿いの方には、亡くなった方もいました。その直後から停電し、電話が不通となりましたが、電話が開通後、知り合いのFM長岡の脇谷社長へ相談し新潟から機材を支援頂き、東北総合通信局へ相談し、3月21日午前11時本放送を開始しました。地震10日後でした、30W 、80.7MHz。
 県内でも非常早いほうだと思います。

「ゴールデンウィークが大きな節目」


 町長はじめ、役場の人、災害対策本部と連携し、被災人数や避難所・ライフライン情報を中心に1ヶ月ほど朝7時から夜7時過ぎまで伝えました。相当しんどかったです。

 朝5時から情報を収集しました。
 当初ボランティアも十数人いましたが、ゴールデンウィークを過ぎて徐々に減り、2名体制の事もありました。
 町の理解があり、町長や副町長等が日替わりで、生放送で伝えてくれました。避難所は最大19か所、6千人の方々がいましたが。被災体験や、自衛隊の方々にも話してもらいました。時には涙で放送が続かないこともありました。
 学校関係も教育長の理解を得て、仮教室での授業状況をお伝えし、生徒にも出演頂きました。

 ゴールデンウィーク後ボランティアが減ってきましたが、被災者の表情も変わり、歩幅も広く力強くなりました。その頃からたくさんの政治家、タレント、お笑いと来局頂きました。が、来局後にも心のこもったメッセージを発してくれた人は僅かだと思います。

 ゴールデンウィーク後は、伝達情報も変化しました。被災証明手続き等の行政情報が増えました。また、元気な町民の声も伝えようと「乗り越える力」へスポットをあて元気な声を伝えています。一方では、傷ついた方々への配慮も忘れない放送も心掛けてきました。汽水域の感覚です。

「りんごラジオの現在」

<体制>

リンゴラジオは、災害臨時コミュニティFMとして正念場であると思います。放送内容、体制、財政等の要件があり、日本財団の支援を受けていますが、スタッフの関係もあり放送時間を短縮しています。
スタッフの募集は行っていません。チームワークを大事にしたいので、町民の方からお声掛け頂いても、慎重に人選しています。

<プログラム>

今後の存続のヒントは、「山元町災害臨時コミュニティFMラジオ」の言葉の中にあると思います。
「山元町」:山元町の情報をきめ細かく伝える。「災害」:災害情報。直接的な災害情報が減ってきている中で、被災地への情報を伝えたいと思います。具体的には町の文化・歴史、イベントの生中継、町議選の開票などを災害に関わった情報:間接的な災害情報として伝えたいと思います。

<放送時間>

他の地域では、放送時間を極端に短縮し存続を図っている局もありますが、当局は毎時放送を続けています。

「これからのりんごラジオ」

リンゴラジオの存続について、町議会では2年間程度存続したいと考えているようです。その後をどうするか?公設民営的な局にしたいと町のトップが言っていますが、町(役場)の情報をそのまま流す懸念があります。
小さい放送局ですが、編集権がありますので、町民に軸足を残した放送を続けたいと思います。(災害コミュニティラジオは)県内でも徐々に減っています。

6ケ月、りんごラジオを運営して来て思うことは、全国放送、県域放送、テレビ、ラジオ、コミュニティFMには其々の役割があると思います。災害放送の第一報は全国放送や県域放送であっても、きめ細かい生活情報にはコミュニティFMの担うべき情報もあると思います。それは平時の情報も同じです。地域のラジオとしての役割を模索し放送の中身で勝負していきたいと思います。

私の経験も踏まえて、りんごラジオへ生かしていきたいと思います。町役場庁舎の新築時には、1Fロビーにスタジオを開設したいと思っています。実現できるかは町長の任期との関係もありますが…。
 

町民に活用して頂くためにも、発信力を問われていると思います。県域放送との連携も進めていきたいと思います。
町民の方、ひとり一人へインタビューを続けています。目標としては、いずれ全町民1万5千人の声を届けたいと思っています。よりよい町づくりへ活かしていければ、りんごラジオの使命を果たせると考えています。

りんごラジオのブロクは、開設以来15万アクセスを記録しています。サイマルラジオで世界中で聞くことができます。海外の方からも激励のメールを頂いています。小さな放送局から大きな情報・夢を発信したいと思います。地域のため、放送の質を高めていければと思います。
 

6ケ月の放送を踏まえて、大切な事は「言葉の力」があると思います。

「言葉で話し通じ合う、伝え合う、聞く。」そういう事の大事さを改めて認識させられたりんごラジオでの6ケ月でもありました。