「災害現場における通信確保」(岩手県立大 ソフトウェア情報学部教授 柴田義孝先生)

「災害現場における通信確保」

岩手県立大 ソフトウェア情報学部教授 柴田義孝先生

<講師プロフィール>
1985年米国UCLA計算機科学科博士課程修了
ベル通信研究所専任研究員、東洋大学教授を経て、
1998年より岩手県立大学教授。災害情報ネットワークの研究に従事

 私どもは岩手県滝沢村にあり、発災時は後期入学試験の前で、慌ただしく準備をしていたところに地震があり、学生対応、学内情報システムの対応を迅速に行う立場にありました。

今回の震災の規模ですが、岩手県も宮城ほどではありませんが大きな被害がありました。

漁業関係の被害が大きかったです。関東大震災に次ぐ犠牲者の状況です。

各県の被災状況は図のとおり、宮城石巻の甚大な被害、岩手は陸前高田、宮古大槌の被害が大きく今でも復興が進んでいない状況です。

 その中で岩手県立大の状況は、手が付けられない状態でした。

しかし学内ネットワークの状況は、生きていました。
インターネットについても上位回線(Sinet)は切れていましたが商用側へ接続し切れる事はありませんでした。学内の120台のサーバはCVCFと発電機で瞬断なく稼働していました。

被災直後、東北大学との接続ができませんでしたが自動で切替商用側で接続していた間も、パケットロス的にはあまり落ちておらず疎通状況は悪くありませんでした。電源も発電機があり、2週間程度は節電をしなくても使用できる状況でした。

サーバ120台やスイッチ40台、PCが3500台ありますが、日常と同様に利用できていました。

当時は、学生がおり翌日が入試であり、大学の回りは停電している状況で、大学が避難場所になりましたが、ラジオ、テレビやインターネットも利用できていました。

三陸沿岸へ即支援に入りたかったのですが、ガソリンが無く動けませんでした。
各地域の情報疎通を調べたところ、ラジオは利用できても固定電話がダメ、携帯も場所により利用不可、岩手情報ハイウェイというネットワークもダメで、県庁サーバも立ち上がっていない状況でした。

他方、無線LANや衛星インターネットはうまく働いており、これをベースに復旧支援を行いました。

古くから宮古や田老で情報化支援活動を行っており、災害時の通信確保について連絡をとり体制をとっていましたが、発災後情報疎通がなかったため、衛星システム等を関係機関の協力を得て対応を行いました。

ルータやスイッチをKDDIさんに提供頂き、併せてガソリンも提供頂き、感謝しています。食糧(調達困難)や交通(路面凍結、燃料不足)などの制約から、現地作業は、日帰りで対応を余儀なくされました。非常にタイトな行程で対応となり、NPOや学生の協力を得て支援したが、普段から作業に習熟する指導をしており有効でした。

自治体庁舎、避難所や診療所等への支援を行いましたが、施設によってはネットワークの敷設状態が不明であったり、仮設電源が不安定であったり、多様な現場で支援を行いました。

自治体と警察、自衛隊が同居した施設で、衛星IPで災害対策本保のネットワークを立ち上げましたが、ネットワークの基本的な情報がなく苦労しました。

情報インフラについて北から順に被害状況を調査したが、衛星IP通信システムは多くの被災地のInternet環境を迅速に復旧させました。

携帯電話の エリアは徐々に回復し、3G+無線ルータは簡易的に避難所で利用されました。無線LANは機動的にエリアをカバーでき、衛星電話(各自治体2台程度)はフル活動でした。NICTのコグニティブ無線は役に立ちました。

Twitter,ブログなどのSNSはリアルタイムな情報伝達と共有に役にたちました。

情報インフラの次に住民に医療健康を確保するシステムが必要と考え、田老地区の仮設住宅高齢者の健康管理システムをKDDIと構築し、400戸程度の健康管理を行っています。

今回、これらシステムが有効でした。

最後に教訓として、
 ・車はガソリンで走る。情報通信機器は電源で動く。
 ・No news is bad news:便りが無いのは、悪い知らせ。
 ・昨日の学生は、今日の戦友:学生は、教えれば共に戦える友になる。
・金の切れ目が、縁の切れ目。金の切れ目からが真の友:この時期は予算が無い時期であるが、無くても力になってくれるのが真の友である。
・Never give up, never die network!:あきらめないで、壊れないネットワークを作る。
・災害は忘れる間もなくやってくる!:私も何度か大きな地震を経験した。まさに忘れる間もなくやって来ます。

以上です。