「シンポジウム震災とICT」-基調講演(名取市長 佐々木一十郎(ささき いそお) 様)

「東日本大震災、被災現場からの報告」
 名取市長 佐々木一十郎(ささき いそお) 様

 こんにちは。ご紹介をいただきました、名取長の佐々木一十郎でございます。

 地震津波の権威であります今村先生のあとの講演ということで、ちょっと緊張しておりますけれども、今回の東日本大震災被災地の現場の話を皆様にお聞き取りいただきたいと願っております。

 佐々木(いそお)と読みます。なかなか振り仮名を振っておかないと読んでいただけない名前で、本人からは「一を聞いて十を知る男」という紹介をさせていただいております。実は、生年月日が昭和25年の1月10日生まれであります。
 
我が名取市は仙台平野の真ん中、名取川の右岸側で仙台市の南隣に位置しております。
ここが名取市の港町閖上という町であります。

 地元の方はご存じですが、門構えの中に水、上下の上と書いて「ゆりあげ」と呼びます。赤貝の産地で、日本一の赤貝が採れるという港町であります。この港町、皆さん今日お集まりの方々は、YouTubeとかで津波の状況についてはいろいろご覧になっていることとは思いますけれども、人口約7,100人のこの閖上の町が一瞬にして壊滅してしまいました。

 これだけ多くの人が住んでいた町が本当に流失して、まあコンクリートの建物は幾つか残っておりますけれども、これほどの被害を受けたというのはなかなか経験がないことでした。
 人口密集地帯の町が、こんな具合になってしまった。これが今回の津波であります。 

発災当初、電源が落ちましてですね、災害対策本部をすぐに立ち上げましたけれども、3月11日の夜はこんな風にローソクをともして本部会議を開くというような状況でありました。

停電なのに何でここにテレビがついているんだということでありますが、これは非常用の電源を引っ張ってきておりまして、こんな状態で当初は過ごしていたということであります。

これは11日の発災当初の体育館、避難所です。
着の身着のままの方々が命からがら逃げてきたという状況にございました。まだ寒かったんですね。3月11日は。この避難所に来られた方はまだよかった。外にいる方々は、雪の降る寒空の中で一夜を過ごしたということであります。

我々災害対策本部では被害状況の把握、これにまず努めておりました。そして、救える命を救おうと懸命でした。救助は72時間と言われておりますけれども、とにかく生き残っている人を何とか救いたい、この思いで全力を挙げて取り組んでおりました。
そして、避難所の開設、そして水、食料、毛布の配布、救助活動、避難所に必要な資機材の調達、当たり前のことをそれぞれの担当ごとにやっておりました。 人口73,000人の名取市でありますが、被災をしたのは沿岸部の地域であります。

ただ当日避難所に避難した市民の数は、ピークで12,000人ぐらいの方が避難所で一夜を過ごしております。

これは一夜を明けた被災現場でありますけれども、閖上漁港の船が1隻残らず、みんな陸地に打ち上げられておりました。

ここは比較的被害の少なかった地域で、建物が残っている地域でありますけれども、津波のダメージをこのような形で受けております。先ほど来お話いただいている仙台東部道路、高架の道路でありますが、その周辺はがれきの山でありました。

 これは被災3日後になりますか。ここに特別養護老人ホームがあって、水没しておりまして全然救助に行けなかった。3日目に自衛隊が入って、やっと生き残った方々を救出することができました。

 この特別養護老人ホームの中だけでも、40名以上の方がお亡くなりになっていました。人口密集地帯の閖上の町がこんな状況で土台の跡形もないぐらい、みんな流されてしまっております。

 私も閖上で、これ実は我が家でありまして、津波の通り道からちょっと外れたところではあったんですけれども、そのおかげでがれきの山でありました。
 造り酒屋の煙突がこんな具合に倒壊しまして、木造の家屋は地震と津波のがれきの山でもうぐちゃぐちゃになっておりました。

 発災当初から自衛隊の皆さんに駆け付けていただきまして、名取市には名古屋から第35普通科連隊の皆さんに入っていただき、名取市役所の中に現場の対策本部を立ち上げて、取りあえず人命救助にあたっていただいたということであります。
 多分、自衛隊との連携では手前みそではありますが、名取市がきっと一番良かったんじゃないかなと思っております。

 

実はここの自衛隊の現場対策本部のすぐ隣が市長の秘書係の机でありまして、すぐ市長室の隣に自衛隊の現場本部を置いていたという状況にございます。
隊員の皆さん、そしてまた消防の緊急援助隊の方々、そしてまた全国から応援に来ていただいた警察庁、警察の皆さんに本当に大活躍をしていただきました。

 これは先ほどの特別養護老人ホームからの救出状況であります。そしてまた避難所への食料の供給、給食も担っていただきました。
 ただこういった中ではありますが次から次にご遺体が上がってまいりまして、遺体の安置所でご家族を探す皆さんが、本当にもう泣きながらどこにいるかということで探し回っておられました。

 人口73,000人の名取市で911人のご遺体が回収され、いまだに71名の方々が行方不明のままであります。
 発災当初、これは市役所のロビーでありますけれども、何かというとみんな安否情報を書いたメモであります。
 携帯がつながらない。家族、友人、同僚の居場所が分からない。

 みんなこのようなメモを書いて、私はここにいる。あるいは誰々さん、連絡くださいとメモを貼る。このメモが非常にローテクではありますけれども、有効に活用されておりました。
 中には「最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう精いっぱい生きます。被災された皆さん、苦しいけど負けないで」、これはうちの職員であります。
結婚して生まれたての息子と、奥さんも職員でありましたけれども、育児休暇で実家の閖上に帰っている時に流された。
 このような閖上の職員はみんな父親が亡くなり、あるいは奥さんと娘が亡くなり、そういった中でも現場を離れることができずに市役所でずっと勤務を続けていたと、そのような状況でありました。
 これはNTTで開設していただいた衛星回線を使った無料の災害電話。安否の確認に多くの市民の方々がここに集まり、電話を使わせていただいておりました。

 これは避難所の状況であります。各地の避難所によっては、こういった段ボールでみんなパーテーションを作って区切っている所もありましたけれども、名取市の中での避難所も、それぞれの避難所ごとにいろいろな対応がありました。
 ただほとんどこのパーテーションを作ってないんですね、名取では。というのは隣近所、ご近所さん同士がみんな一緒になっている。
 言ってみれば避難所がみんな家族みたいな感じで、避難所の運営がなされていたということであります。命からがら逃げてきた方々が、やっと一息ついている。
 これからどうなるかという不安の中でおります。

 こういった避難した方々、そしてまた災害現場でボランティア活動をしてくださる方々が多く集まって、これはボランティアセンターでの朝の打合せ風景であります。
 集まった方々が、今日の活動、誰がどこに行ってどんな活動をするか打合せをしているところであります。これは市民体育館に集まった、全国から寄せていただいた支援物資、これだけじゃない、もっと山のように集まりましたけれども、こういったボランティアの方々の力をお借りしながら、被災者の方々に支援物資をお届けしているところであります。

名取市ではもともとコミュニティFM局をつくりたいと思っていたんですが、なかなかそれを立ち上げるタイミングがなかった中で今回の災害に遭ってしまいました。
いろいろ応援をいただいた中で、災害から1カ月、4月10日にこの「なとり災害FM局」を立ち上げることができました。

これが発災当初からあったら相当有効に使えたのになあと、今でも悔しい思いであります。ただローカルの話題をリアルタイムで伝えるということになると、このコミュニティFMあるいは災害FM局の力というのは本当に大きなものがあります。

こういったものの整備にこれからも努めてまいりたいと考えているところであります。

 これが被災した閖上の災害現場であります。ここ1軒ずつみんなうちが建っていて、そこで暮らす人々の生活があった。それが本当に何も残らずに、このような状態になってしまっているというのが、今回の津波でありました。
 これはり災証明の申請手続き。開始した途端に多くの方々が申し込みにこられました。
 このり災証明というのは、災害のいろいろなサービスを受ける一番の基本になる手続きであります。
 このり災証明を持って、例えば生命保険であるとか、災害の援助金であるとか、義援金であるとか、そういったものを受け取れる。あるいは今ですと、高速道路の無料化もこの証明書で証明しているということでありまして、こういった手続きがものすごいボリュームであります。
 職員も多く取られる。そして時間もかかる。

 こういった災害対策ということが、我々、既存の職員のマンパワーでなかなか間に合わない。こういった被災地、どこでも共通する悩みでありますけれども、全国からいろいろ応援をいただいております。全国市長会、あるいはいろいろ友好都市であるとか姉妹都市であるとか、職員の応援をいただいておりますけれども、それでもマンパワーが足りないという現状にあります。
 これはある程度準備が整いまして、応急仮設住宅に入居していただく段取りがついたところ。やっとホッとして、仮設住宅の生活が始まるというところであります。

 名取市での発災状況でありますが、14時46分、これが東北地方太平洋沖地震の発生時刻。そして名取では、15時51分に津波の第一波が押し寄せてまいりました。この間、約1時間5分。今回はこの1時間5分の中で逃げられたかどうかということが、命の分かれ目でありました。先ほどのYouTubeなどの画像にもあったとおり、名取でも「いやー、閖上は津波が来ないから」これは漁業家の方々、海で生活している方に特にですね「閖上は津波来ないから大丈夫だ」と言って逃げない方が多くおられました。ただ、とにかく逃げろということで逃げた方々、これは助かりました。
 

 この避難指示でありますけれども、地震発災当初から大津波警報が出ておりました。

これを受けて名取市でも避難指示を出し、多くの市民の方々にとにかく逃げるようにという指示を出しておりました。
 この避難指示の伝達方法でありますけれども、防災行政無線、これは各所に屋外スピーカーを設置しておりまして、市役所の本庁舎から無線で伝達ができるという装置であります。

それとテレビあるいはラジオ、消防本部、消防団の車両での広報、町内会、自主防災組織でのお互いの広報活動、そして隣近所の声掛け、このような伝達手段で避難指示を伝えたわけなんですけれども、名取市の防災行政無線については、これはあとから判明したことでありますが、地震の影響で無線の発信装置の主電源が、金属片が落っこちてショートして実際は機能してなかったということがあとから分かりました。
だいぶ一生懸命これで放送して、きっと伝わるようにということ願いを込めてやっていたんですが、あとから検証したらもともとスタートから動かなかったという状態でありました。
 

 テレビについては、地震によってすぐに停電になっておりました。家庭のテレビはほとんど見られなかった。車に付いているテレビを見ることができた方は、このテレビで状況を把握することができた訳でありますけれども、このテレビが有効であったならば、三陸地方に津波が押し寄せていた画像がテレビで見られたはずです。名取は、ちょっと仙台平野で内側にへこんでおりましたのでタイムラグがあったんですね。もしテレビが有効であればほとんどの方々はとにかく逃げなくちゃと、逃げることができたと思います。ところが残念ながら、停電で見ることができませんでした。
 

 ラジオでありますが、停電していますが、今のラジオは大抵携帯ラジオであります。この携帯ラジオで津波が来る、逃げなくちゃと知った方々は本当に多くいらっしゃいました。ですからこれからの防災では、ラジオという伝達手段が一つの鍵になるだろうと思っております。これはキー局ももちろんありますが、できることならコミュニティFM局などがあれば、地域情報をそのままダイレクトに伝えることが可能だったろうと思われます。
ですからあまりハイテクよりは、災害の時はローテクのほうが生き残るだろうという思いでおります。
 

 それと消防本部、消防団車両での広報活動、これについては現場で一生懸命活動していただきました。この広報活動によって避難した市民は多くおります。ただその代償も大変に大きいものでした。
名取市の消防本部の職員3名が現場で消防自動車で広報活動、避難誘導活動を行ったまま殉職しております。
そして地元の各町内会にあります消防団、これも消防団の車両で広報活動、避難誘導活動を行っておりました。
ここでも16名の消防団員が殉職しております。本人たちは、現場を捨てるわけにはいかない。最後まで市民が残っている間は広報活動を続けなくてはならない。消防本部からは無線で、とにかく津波が来るから現場を離れろという指示は出しているんですけれども、現実には現場を離れられませんでした。それで大事な命を失っております。このことは、これからも永遠の課題になろうかと思います。市民がいる中で、現場を捨てて消防本部、消防団員が逃げられるのか。逃げなければ自分も被災してしまう。いまだに我々にとっての大きな課題であります。

 それと町内会、自主防災組織の広報。この自主防災組織というのは、名取市内の中で各町内会単位ぐらいで防災組織をつくっていただき、日ごろから避難訓練、防災活動、広報活動、こういったことに取り組んでいただいております。
構成率からいうと、名取で60%ぐらいの組織率でありました。
これも普段から津波が来る地域においては「津波が来る、まず避難しよう」という訓練を年に少なくとも1回2回行っておりました。この訓練で、日ごろやっているからということで逃げた方々もいます。
 

ただ日ごろ訓練をやっていながら、逃げなかった方もおられる。このへんが分かれ目ですね。
今回の悲劇はここまでは津波は来ないだろうという、先ほどの貞山運河の陸側の地域、ここまでは来ないだろうという方々がほとんど逃げなかった。そして多くの命が失われていたということがあります。
ここにも避難指示は出しているんですけれども、なかなか伝わらない。これからの課題になります。
 

 そして隣近所の声掛け、とにかく「津波来るっていうから逃げなくちゃ、あんたも逃げなさい」そうやって声掛け合って「いやー、とにかく逃げましょうか」といって逃げた方々も多くおられます。
日ごろからのそういったヒューマンネットワークがこういった避難活動、そして避難所でのお互いを思いやりながらの生活、そして仮設での生活につながってまいります。
 

 災害時に生きる情報伝達の手段、これについてはいろんなところで検証が行われ、アンケート調査が行われ、学術調査が行われております。
詳細については、いずれまとまった報告が出てこようかと思いますが、今の時点でのあらあらの状況であります。
 

 電話についてはアナログの電話はつながったり切れたり、トラフィックが重なってなかなかつながりにくい。あるいは発信規制があって、発災当初はなかなかつながらないという状況にありました。
光回線は停電のためにほとんど使い物にならなかったという状況でした。
 

 携帯電話、これも発信規制があったり、トラフィックが重なってつながりにくかったり、通信会社によってこれはいろいろな状況にありました。つながりやすかった通信会社、あるいはほとんど使い物にならなかった会社、その会社ごとの回線状況によっていろいろであったようです。ただいずれ、自由に使えるような状況にはありませんでした。携帯メールにしても携帯電話よりは幾分つながったかなと。これもメーカーによっていろいろな状況でありました。全くつながらなかったところもあったようです。
 

 インターネットについては、なぜかほとんど使えなかった。これが復旧したのが3月16日、発災から5日ほどたってからやっと使えるようになったということで、本来このインターネットが使えればいろんな情報を事細かに伝えることもでき、情報収集もできたのですが、これがなかなか使えなかったという現状であります。

 こういった中で衛星携帯電話、これは災害の時の準備に名取市でも1セット持っておりましたが、これは問題なく、当たり前ですが使えました。このおかげで東京など国の方との連絡、あるいは被災地以外の外部との連絡が取れました。

そして行政無線、これで宮城県との連絡、これも衛星系の無線を使ってやりとりする電話回線とFAX回線がありまして、これについても問題なく動きましたので、県との連絡調整はこれで十分に取れたということであります。
 

 ちょっとマニアックなところでありますと、アマチュア無線。これもポイント・トゥ・ポイントで最後まで生き残る伝達手段であります。名取市では市役所の屋上にリピーター局、中継局を置いておりまして、これがあると宮城県内ほとんど全部のエリアをカバーするぐらい、アマチュア無線で連絡が取れるということであります。
名取市役所の中の職員で免許を持っている者でクラブをつくっておりまして、いざ災害になった時には、これが最後の地元での連絡手段だよということで、その心構えだけはつくっておりました。
 私もアマ無線のクラブの一員でありまして、これで発災当初電話がなかなかつながらないという状況の中で、被災現場と災対本部の連絡を取ることができました。
普段は業務用に使えないということでありますが、非常コールと言いますか、エマージェンシー・コールで随分当初活躍してもらうことができました。

災対本部としては、とにかくどこに誰が避難しているのか、もちろん避難所ごとに名簿は作るんですけども、避難した方々は1カ所にとどまらない。あっちこっちに移動するんですね。そういった現状をどうやって把握するかというのはなかなか難しかった。そして各避難所にどれだけの人がいるのか。それぞれの避難所ごとに担当者を決めておりますけれども、なかなかこの連絡調整、現場の把握ということができませんでした。

 もう一つは、要援護者です。災害の時にサポートが必要な方々がどこにどれだけいるのか、どんなサポートが必要なのか、この把握もなかなか難しかったです。
そしてまた避難所で何を必要としているのか、このような本当に基本的な情報というものですら自由に収集ができない、これが現場での状況でありました。
被災者の方々は、これはどこでも一緒ですが、とにかく自分の家族の安否、そしてまた友人、知人、同僚の安否、これの確認にみんなもう必死になっておりました。
そして一段落すれば、地震の震度や津波の被害などの震災情報、これがどうなってるんだ。あるいは水道、ガス、電気、電話、インフラの情報、これが現状どうなっているんだ。復旧の見通しはどうだ。あるいは道路、鉄道、バス、交通インフラの情報など。
 

 今回の災害ではガソリンがありませんでした。これについては、言いたいことが山ほどあります。3月11日被災しまして、ガソリンがなくて誰も自由に行動ができませんでした。
災害の現場では捜索活動、あるいはがれきの撤去作業、これに当初からも重機を投入しておりましたけれども、その重機を動かす油が無くなる。最大で500台ぐらいの車両を投入しておりましたが、この車両に使う燃料が1日6キロリットル、この確保がなかなかできませんでした。
国と掛け合い、石油の元売り業者と掛け合い、とにかく油集めに必死になって取り組みました。ところが西日本のほうではこの油に困っている状況だったかというと、全くそんなことはないと思います。
だったら、西日本の油をなぜ被災地に持ってくることができなかったのでしょうか。国がどれだけの対応をしたのかということを思うと、残念でなりません。このようなことがないように、国のコントロールがしっかりと機能するように願っております。
 

 そしてまた被災者たちは、食料、生活物資などの情報、こういったことが必要だと。そしてまたある程度避難所での生活が落ち着いたあとには、自分たちにどんな援助プランがあるのか、義援金の配布、あるいはいろいろな支援策、どんなサービスが受けられるのかですね。そしてまた仮設住宅に入ることができるのか。いつ入れるのか。そしてまたいわゆる家電6点セット。これは日赤のほうで義援金を資金にして、仮設住宅に入る方々に当面使うだろうという冷蔵庫とか、洗濯機、電子レンジとか、炊飯ジャー、テレビとか、そういった家電6点セットを支援するのですが、どんなものかと、こんなことをみんな心配しておりました。
 

 それも落ち着いて避難所から仮設住宅に入れば、今度は自分の土地が一体どうなるのか。そこに戻って住めるのか。うちは建てられるのか。そして復興プラン、これは誰がどうやってつくっているのか。どんな復興プランが出てくるのか。その復興プランで、安全は確保できるのか。自分の自己負担はどうなるのか。この復興プランが本当にできるのか。いろんな心配が出てまいります。
 

 その復興プランで安全が守られるのか。今、今村先生からも津波のシミュレーションをいろいろ提示していただきました。
我々も復興プランをつくるたびに、これで本当に津波から町を守れるのか、このようなことを本当は全部事細かにシミュレーションしたい。ところが大変なんですよ、これ実は。
 今、名取でやっているシミュレーションは1回条件設定して結果が出てくるまで丸二昼夜ぐらいコンピュータを回さないと出てこない。そんな状況にあります。しかも1回やると200万円。いろんな復興プラン並べて比較データを集めたいんですけれども、なかなかそれが難しい。それこそスーパーコンピュータが自由に使えるような環境になれば、これも可能になるのかなと思いますけれども。いずれコストもかかる。こういったこともこれからの大きな課題になってこようかと思います。
津波のシミュレーションができる機関、会社というのも限られております。なかなか自由にできない。
こんなことがこれから解決できればありがたいなと思っているところであります。
 

 避難所での暮らしでありますが、名取の場合は先ほどお話し申し上げたとおり、各避難所で、あまりプライバシーにこだわらずに、みんな結構仲良く暮らしておりました。
それももともと住んでいた地域、その町内会単位で避難所に移動したという結果です。ですからこの地域は、この町内会はここの小学校の体育館、この地域はこっちの学校の体育館、そんな具合で隣近所がみんな顔見知り、みんな家族みたいな、そんな避難所生活でありました。ですからお互いに助け合って守りあうことができた。そしてまた取りあえずは食事が取れるような環境になった。
 

 ただそういった中でも、問題は情報がなかなか伝わらない。もちろん身一つで避難所に逃げてきてるわけですから、情報としてはみんなが作る壁新聞、あるいは行政からのお知らせ、これも紙ベースで貼り付けて掲示板でお知らせをしておりました。みんながよく情報交換しているのが、うわさ、伝聞、これで本当に正確な情報が伝わればいいんですが、誰かちょっと1回間違ってしまうと、とんでもないうわさが広がってしまう。そんな情報コントロールできないというような、避難所の状況にございました。
 

 1カ月たてば災害FMが立ち上がり、各避難所にいる方々にいろいろなところからご支援いただいたFMの携帯ラジオを配付することができましたので、この災害FM経由で行政からの情報をお伝えすることができるようになった。
それとテレビが見られるようになって、各地域ごとの情報をテレビの画面の一部割いてテロップで流していただいておりました。

名取の情報も、今日もNHKさんにこのあとお話しいただくことになっているようですけれども、残念ながらこのテロップの情報ですが、状況が変わって連絡を入れて変更してくださいとお願いしても、なかなか変更ができないで古い情報がそのまんま流れているというようなことが多くありました。これもこれからの課題になろうかと思います。
 避難所では、とにかく自分でほしいものがなかなか手に入らない。そして車もみんな流されておりますんで、移動の足がない。そしてまたお金がない。こんな状況の中で、皆さん避難所で過ごしていただいということであります。
 

 災対本部としてはとにかく停電、これに苦労しました。名取市役所では東北電力の協力をいただいて、東北に5台しかないと言われている電源車を庁舎に持ってきていただいて、この電源車から電源供給していただきましたので、電気が回復するまでの間、ずっと庁舎の電源を確保することができるようになりました。

災害の翌日に電源車を持ってきていただいた。本当におかげさまでありました。それと断水、やはり生活の一番の基本になるインフラ、これが確保できるまでに名取市の水道事業所でも、必死の努力を行って水道の回復に努めたところであります。
 

 先ほど来、お話を申し上げたガソリン等の燃料の枯渇、これは被災地共通の深刻なテーマでありました。東北地方の燃料の供給基地であります東北石油、これが湾岸にあり被災して、しかもこの燃料を輸送するタンクローリー車、これも沿岸部にほとんど置いてあって150台流失して、燃料の輸送ができなかったと聞いております。こんな状態でありましたけれども、西日本からの応援をいただければ十分に確保ができたはずだった。これができなかったというのが、本当に残念であります。

東京に直接お願いをして、燃料を確保することもやりました。担当者から「燃料を確保しました。」持ってきてくれるのかと思うと、「いや、川崎にあります。」取りに来いというわけですね。川崎まで。もちろんタンクローリーがない時ですから。そこでタンクローリーを地元の運送会社に直接直談判して川崎に取りにやらせようと準備をしていましたら「いや、川崎じゃない。秋田に行ってくれ」、ということで結局秋田に取りに行きました。
 

 こんな風にして、とにかく災害の現場を止めない。現場に投入した重機を止めない。重機のオペレーターの移動の燃料を確保する。そしてまた医療、介護、あるいは市の災害対策で動いている職員の移動の燃料を必死になって確保してまいりました。そしてまた連絡網が機能せず、なかなか連絡が取れない状況が続きました。
 

 今回の災害は、マニュアルに想定していない規模の災害、つまりマニュアルをひっくり返してみても、このような規模での災害を想定しておりませんからあてにならない。マニュアル自体が指針にならない状態でありました。
 

 そういった中での対応は部署毎にいろいろで、原則を曲げられない部署もあります。
一つの例をお話しさせていただくと、被災現場でご遺体が発見された。そうすると県警からは、捜索活動を中止して県警の担当官を呼べと指示があります。それで担当官が来れば、現場で確認作業を30分ぐらいかけて行う。そのあと遺体を回収したら捜索活動を続けていいと。

この間、一つの重機が45分間止まるわけです。これが現実的かと。まだ72時間前。救える命もあるかもしれない時に、現場を止めろというわけですよ。これに対しては、私は「災害現場の責任者は名取市長だ」と。「名取では止めません。現場での記録を残して遺体を回収します」と、遺体を搬送しました。で、警察の言うことを聞かないわけですから、これはもめるわけですよ。だいぶいろいろ言われましたけども、結局どこの災害現場でも同じような状況であります。警察のほうでも「なるほど、そりゃそうだな」と。だんだんに理解していただけるようになりました。やがてそれが名取スタンダードになっていったようであります。

 そしてまた回収したご遺体は検視をしなければならない。普通の検視というと、大体3時間ぐらいかかる。何でそんなにかかるかというと、要するに事件性があるかないか。自然死なのか事故死なのか。あるいは犯罪があったのか。これを確認するために検視を行う。ところが今回はですね、2万人規模で亡くなっているだろうと言われているのに、そんなことをやっている暇はないわけですよ。とにかく検視を急いでくださいと、お願いをしてまいりました。当初努力していただき45分ぐらいでやっていたのを、なるほどもっともだと、だんだん早くなってきました。最後は歯形とDNAの採取です。この確認が取れれば、いいわけです。多分、犯罪はないだろうという前提でやらないと追い付かない。まず、そんな状況にありました。

 そんなことでとにかく現場では、うちの職員もそうなんですけれども、自分で現場で判断ができない。どうしていいか分からない。こんな状態にありました。
 

 情報発信でありますけれども、とにかく我々としても市民の方々にこれら困っている情報を何とか伝えたい。この伝える手段としてはインターネット、あるいは携帯メール配信、壁新聞、災害FM、こういった手段がありますけれども、このような手段を使うにも一番の問題というのは、災害の混乱の中で発信すべき情報を収集して発信する人、これ恥ずかしながら名取ではこの人員の確保ができてなかったんです。どんなに情報伝達手段があっても、発信すべき情報を載っけることができなかった。送り出すことができなかった。
 皆さんもIT関連のお仕事をしている方が多くおいでです。今の技術力を持ってすれば、いろんな手段は用意できる。ところがコンテンツです。何を載っけるか。誰が発信するか。
情報発信の一番のネックになったのが、この情報発信すべき人です。人がいなければどんなに手段があっても発信できない。これは今回の我々にとっての大きな反省点であります。

 とにかく災害のマニュアルは使い物にならなかった。私は職員の皆さんに災害対策本部会議の中でマニュアルは捨てろ、頼るな。ポリシーで動けと。ポリシーっていうのは、難しいですよね。政策とか方針とかであります。本来どうあったらいいのか。自分で考えて動けと。現場の判断で動けと。そのようなことを伝えました。

 IT関連では被災者情報の一元化、これは誰もが思うところであります。一連の作業でいえば、災害の被災状況、り災証明を発行するにあたってどのような被災状況であったのか。
それぞれの被災者ごとに状況を把握した上でり災証明を発行するわけですが、そういった記録、そしてまたその方にどのようなサービスを行ったか。義援金の配付を行ったか。あるいは支援金を行ったか。あるいは仮設住宅のどこに入ったか。あるいは民間の借り上げアパートに入ったか。その被災情報というものを一元的に管理できればいいというのは、誰もが考えることであります。ところが、なかなかこの一元管理ができるソフトがなくてですね。それぞれの担当者ごとに勝手にフォーマットをつくって、情報を管理するようになっていきました。

 かつて阪神・淡路大震災の時以来、西宮市などでこの被災者情報の管理ソフトの開発を行い、総務省でも無料でこのようなソフトを提供していただいているわけなんですけれども、なかなかカスタマイズができない。名取独自でこのようなサービスを被災者の方々にやったというような、横出しのサービスの記録ができない。あるいは地図情報との連携の運用ができない。このようなものがあれば、それぞれの自治体ごとの独自のサービス、こういったものが追加で簡単に書き加えられるような、柔軟性のある一元化された被災者情報ソフトがあれば非常に有効に機能するだろうと思っております。

 もう一つの問題が、ベンダー独自で持っております住基データ。この日本の戸籍の登録に使っている外字、漢字はベンダーごとに管理している数がものすごく違うわけです。しかもみんなコードをバラバラに振っていってしまっている。ユニコードに勝手に振っていくわけですから、ベンダーが違うと同じ漢字が出てこない。昭和40年代からこの問題が指摘されていながら、いまだに統一されていない。これは戸籍を扱っている法務省が悪いのか、あるいは漢字を統括している部署が悪いのか。とにかく今の技術力を持ってすればできることが、いまだにできていない。ですから戸籍データから被災者管理の一元化ソフトのほうに名簿を移すと、全く違う人の名前が出てくるという状態にあります。とにかく日本の住基ネットワークにしても、日本中どこでも共通で使えるシステムをつくろうと思ったら、住基データに使っている外字コードの統一ということをぜひ行っていただきたい。
 

 IT、ICTの各社からはいろいろなご支援をいただきました。ノートパソコンをいただいたり、あるいは貸していただいたり、携帯電話を提供いただいたり、無線LANの機器を提供いただいたり、あるいはアマチュア無線連盟からはハンディ機をお借りしたり、あるいは電子黒板をいただいたり、これソフトでありますけれども、被災の前後の比較映像を送っていただいたり、仮設住宅には無線LANの環境を設置していただいたり、住宅の中での高齢者、独居老人の方々がちゃんと当たり前に生活しているかどうか、こういった動態センサーを提供いただいたり、あるいは具合が悪くなったらスイッチを押すと玄関の前でパトライトが鳴って、アラームが鳴るようなそんな装置を贈っていただいたり、いろんなご支援をいただきました。本当にありがとうございました。
 

 ここにお集まりの皆さんも、災害時に必要とされる多くの資源をお持ちであります。ところが実際の災害の時にどこに行って何をすればいいのか、それを仕切るコーディネーターがおりません。ですから皆さんが持っているスキル、これを事前にあらゆる被害、あらゆる災害を想定して各市町村と災害時の応援協定を結んでおいていただければ、頼むほうも「よろしくお願いします」。用意して行くほうも、とりあえずあそこに行こうと、行く先が決まります。みんな何をしてやったらいいか、どこに行ってやったらいいか迷っております。みんなせっかくの資源をお持ちでありながら、なかなか活用できなかったということがあります。

 こんなことが、今回の災害を通してのテーマでありました。

どうかこのような会を通して、これから起こるであろういろいろな災害に対応できるように、よろしくお願いを申し上げます。
ありがとうございました。